黒歴史

美川憲一は若い頃に覚醒剤で2度逮捕!コロッケのおかげで不祥事から復帰できたって本当?

美川憲一は若い頃に覚醒剤で2度逮捕!不祥事から復帰できた意外な理由とは?

歌手・タレントとして活躍する美川憲一さん。

今回は、美川憲一さんの逮捕歴についてまとめていきます。




美川憲一の逮捕歴まとめ

美川憲一さんの逮捕歴をまとめてみました。

美川憲一の逮捕歴

1977年:大麻取締法違反で逮捕
1984年:大麻取締法違反で2度目の逮捕

美川憲一さんといえば、1972年に発売した「さそり座の女」で9.7万枚を売り上げる

ヒット曲を生み出し、当時の星占いブームのきっかけを作った人物です。

さらに『紅白歌合戦』では、通算26回という出演記録を持つ大御所歌手であり、

芸能界のご意見版としても知られていますね。

そんな美川憲一さんは、過去に2度も同じ内容で逮捕されており、

すべて大麻が関係しています。

では、どのような経緯で逮捕となったのか次の見出しで詳しくみていきましょう。




美川憲一は若い頃に大麻で2度逮捕

美川憲一さんが若い頃に大麻で2度逮捕されているということで、調査していきます。

1回目の逮捕

美川憲一さんが1回目に逮捕されたのは、1977年10月のこと。

大麻取締法違反で逮捕され、起訴猶予となりました。

当時、ドラマのエンディングに使用された「駅」が発売された年で、

「久々のヒット曲になる」と言われていたのですが、

逮捕されたことにより、惜しくもその機会を逃してしまいました。

2回目の逮捕

美川憲一さんが2回目に逮捕されたのが1984年8月23日。

当時、美川憲一さんが大麻を吸っているとの情報をもとに東京都・中目黒のマンションを

関東信越地区・麻薬取締官事務所の捜査官が張り込みをしていたのです。

そこで帰宅した美川憲一さんのポシェットの中を調べたところ、

大麻タバコ2本と自宅に隠してあった4グラムの大麻を発見。

美川憲一さんはそのまま大麻取締法違反で現行犯逮捕となり、

今回は2回目ということもあり、判決は懲役1年6か月と執行猶予3年という

厳しい結果となりました。

さらに、その後の尿検査の結果で覚醒剤を使用していたことも判明し、

大麻だけでなく覚醒剤の面からも厳しく追究されることとなってしまいました。

実は、美川憲一さんは2回目の逮捕をされる前に1度大麻取締法違反客疑で

立川署から事情聴取されているんです。

そこで友人から大麻3グラムをもらったことを認めたのですが、

”大麻と知らなかった”

と供述したことにより、再び書類送検されていたんです。

しかし、これも起訴猶予という結果に…

当時美川憲一さんは釈明記者会見を行い、

”私がオーナーの六本木の店で紙に包んだ大麻をもらったが、確かめず捨てた。私は大麻より、おいしい料理の方が好き。大麻は吸っていません”

と語り、解決したと思われた矢先の2ヶ月後、

2度目の逮捕となったのです。

当時美川憲一さんが所属していたクラウンレコードの長田幸治制作部長は、

(6月に)起訴猶予になった時、美川本人に何度も確かめたが、本人は「(容疑は)間違い、絶対に大丈夫」と言った。それを信じた。

とコメントしており、「あの釈明記者会見の発言はなんだったのか」と物議を醸しました。

この一件で美川憲一さんはテレビの出演回数も減り、

スナックでの営業や地方の温泉などでの公演が続いたといいます。

嘘をついたことで信頼すらも失ってしまいました。

一時芸名を「美川けん一」に変更していたそうですが、事態が好転することはなく

辛い時期が続いたといいます。

なぜ大麻を使用したのか?

2017年7月12日放送の『良かれと思って!』に美川憲一さんが

ゲスト出演した際に、逮捕された当時のことを赤裸々に語る場面がありました。

『興味本位もあったんだけれど、私はこれ(大麻)を知ったことによって気持ちよくなるんじゃなくて“眠るため”に使った』と語っていました。また逮捕された時の心境については『ホッとした』とコメント。

引用元:exciteニュース

「ホッとした」というコメントが引っかかりますが、2019年11月26日に

麻薬取締法違反の疑いで逮捕された沢尻エリカ容疑者についてのコメントを見ると

この言葉の意味が理解できます。

精神のバランスが非常に悪かったんだと思う。でもこれでほっとしたんじゃないか。仕事で追い詰められていたのを、クラブ行って発散して…の繰り返しだったと思うから。

(薬物使用は)芸能界の仕事に対しての裏切り行為。
しっかり受け止めて、反省してほしい。

引用元:exciteニュース

ここでも「ホッとした」という言葉を使っていますね。

おそらく最初の言葉は過去の自分を指しているのでしょう。

逮捕当時、美川憲一さんも仕事で追い詰められ精神状態が良くなかったことが伺えますね。




美川憲一のプロフィール

美川憲一さんのプロフィールを見ていきましょう。

出生名:百瀬 由一(ももせ よしかず)
誕生日:1946年5月15日(76歳)
血液型:A型
出身地:長野県諏訪市
ジャンル:演歌 / 歌謡曲 / シャンソン
活動期間:1965年 –
事務所:株式会社オフィス・ミカワ

美川憲一さんは、1965年「だけどだけどだけど」で歌手デビューを果たしています。

その後も「柳ヶ瀬ブルース」や「釧路の夜」などヒット曲を生み出し、

1968年には『第19回NHK紅白歌合戦』に初の出場となりました。

人気も上昇し、仕事が軌道に乗り始めた頃に逮捕事件が起こり、

しばらく芸能界から干されてしまいます。

しかし、1980年代終盤にものまねタレントの第一人者であるコロッケさんが

美川憲一さんのモノマネをしたことがウケ、人気が復活する契機となりました!




まとめ

今回は、美川憲一さんの逮捕歴についてまとめてみました。

若い頃に2度も大麻取締法違反で逮捕されたことがあるようですね。

一時芸能界から干されてしまった美川憲一さんですが、

現在は人気と信用を取り戻し、芸能活動に励んでいるようです。




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